2023年10月17日 掲載

研究資源アーカイブ通信〈27〉

アーカイブズと私(5):田中一義先生と西本佳央先生に聞く「福井謙一研究資料, 1936–1988(主年代1940–1982)」

  • 聞き手:齋藤歩(京都大学総合博物館)
  • 撮影:岩倉正司(京都大学情報環境機構) *写真5, ポートレート

京都大学研究資源アーカイブは、1981年にノーベル化学賞を受賞した福井謙一が残した資料の整理を2018年より続けてきました。本資料は、2018年の「ノーベル賞化学者を育んだ教室」展にて一部が公開された多数の研究メモのほか、国際会議開催に関係する資料を加えて、「福井謙一研究資料, 1936–1988(主年代1940–1982)」(福井謙一記念研究センター所蔵)として公開されます。今回の整理で資料分析にご協力いただいた田中一義先生と西本佳央先生に見どころを伺いました。

アーカイブ事業の経緯

────申請に至るまでのプロセスをお話しいただけますか。

西本──2018年10月から総合博物館で開催された企画展「ノーベル賞化学者を育んだ教室」のための資料探しがきっかけです。企画展に向けて動き出したのは、2017年の6月頃だったと思います。同博物館の塩瀬隆之先生と共に、福井謙一記念研究センター(以下、福井センター)で展示候補の資料を探すことから始まりました。その時に、VHSのビデオテープがたくさん出てきたのですが、研究資源アーカイブの力を借りてデジタル化したものを展示できないかと考えました。そのあと調査に来ていただいた時に、段ボール箱に入った紙の資料がたくさんみつかったと記憶しています。

田中──これらの段ボール箱は、福井先生のご家族から送られてきたものです。家にメモや計算用紙などが残っているけれども、このままでは散逸してしまうと息子さんから連絡があり、2010年代の前半ぐらいからぽつぽつと送られてくるようになりました。そのころはまだ、これら資料の権利関係もあいまいで、軽い気持ちで送ってくださったのだと思います。

────研究資源アーカイブによる調査が2017年10月から11月にあって、研究資源化申請書を出していただいたのが12月、翌2018年の4月から資料整理がスタートし、学内の法務相談を経て、2020年の春頃に譲渡書類を交わされたという流れでした。

段ボール箱には引っ越し時のメモ書きのようなものが書かれていましたね[写真1]。「ICQC関係2F」「教授室キャビネット2F」「2F量子化学」「生物物理(永田研・今村研)2F」などです。

田中──「2F」はおそらく2階の意味ですね。福井先生の教授室が工学部9号館の2階にありましたから。また偶然ですが、福井センターの前身である基礎化学研究所で所長をしていた時の部屋も2階にありました。

「ICQC」は量子化学国際会議(International Congress of Quantum Chemistry)のことですね。京都で開催されることもあり、福井先生が第3回会議(1979)の組織委員長を務めました。スポンサーや世界中の関係者に連絡したり調整役をされていましたから、その関連資料だと思います。

「永田研・今村研」は、福井先生のお弟子さんで、国立がんセンター(当時)に勤務していた永田親義さん、今村詮さんのことです。彼らとのやりとりや研究の打ち合わせ資料などだと思います。

写真1:研究メモが残されていたダンボール箱(2017年9月4日)


1──本インタビューは『京都大学総合博物館ニュースレター』No. 58に掲載した内容の完全版です。
URL: http://hdl.handle.net/2433/284658

参考文献
1──福井謙一研究資料, 1936–1988(主年代1940–1982),
URL: https://peek.rra.museum.kyoto-u.ac.jp/ark:/62587/ar128649.128649
2──田中一義+齋藤歩+西本佳央「福井謙一先生の生き方を残す──アーカイブズ学と化学者」; 塩瀬隆之+齋藤歩「展示デザインから考えるアーカイブズを残す意味」(『化学』2023年9月号),
URL: https://www.kagakudojin.co.jp/book/b632314.html

資料解説1:理論が定着していくプロセス

────研究メモの見どころを教えてください。

西本──これはある論文★1についての考察メモです[写真2]。左側にHO、LVと書かれていますが、現在ではそれぞれ、HOMO(Highest Occupied Molecular Orbital:最高被占軌道)、LUMO(Lowest Unoccupied Molecular Orbital:最低空軌道)と書くのが一般的です。HO(Highest Occupied)は電子に占有されている分子軌道のうち最もエネルギーが高い軌道のことで、LV(Lowest Vacant)は電子に占有されていない分子軌道のうち最もエネルギーが低い軌道のことです。この2つの軌道を合わせてフロンティア軌道と呼びます。福井先生がフロンティア軌道理論を発表したのは1952年ですが、その黎明期では呼び方が異なっていたということがこのメモからわかります。

田中──福井研究室では、HO、LVの表記は1960年代から1970年代初頭まで使われてました。それがだんだんと世界標準のHOMO、LUMOに移行します。つまり、言葉がなかったんです。当時の研究室でやっていたことはすべて新しいことだったので、使っている言葉が一定していなかったんですね。

★1──William E. Palke and William N. Lipscomb, “Molecular SCF Calculations on CH4, C2H2, C2H4, C2H6, BH3, B2H6, NH3, and HCN.” Journal of the American Chemical Society, 88(11), pp. 2384–2393 (1966), https://doi.org/10.1021/ja00963a004

写真2:メタン分子のHOMOとLVMOのMO係数の考察

資料情報:[研究メモ192-04/001](部分), FFC MIXED 2018/1/S02-2/192-04/001

西本──別のメモですが、これも当時福井先生が勉強していた論文★2の考察だと思われます[写真3]。イソアロキサジン(C10H6N4O2)のスピン密度(spin density)の計算があります。以前主流だった有機電子論では、中央下の窒素原子N10のスピン密度の値が1.051と一番大きくなるため、N10で水素の引き抜きが起こると予測できるのですが、フロンティア軌道理論に基づいて考えると、右上のN1の値が0.322、N10の値が0.266となり、N1の方が大きくなるため、N1で水素の引き抜きが起こるという予測になります。

つまり、有機電子論とフロンティア軌道理論では予測が異なるのですが、この論文の実験結果は後者の予測と一致しているため、フロンティア軌道理論が正しいということが確認できます。そもそもこの論文は、1952年の福井先生によるノーベル賞の対象になった論文★3を引用して議論したものです。

────福井先生の論文を参照した論文について、福井先生が自ら確認しているのですね。

田中──福井先生がフロンティア軌道理論を発表してから、それが本当に正しいのかと世界中で考察されるようになります。そういった流れは、理論の創設者にとって非常に意味があることなのです。その流れの一端が垣間見られる論文ですね。ノーベル委員会はこのような理論の広がりにも注目しているようです。

★2──Pill-Soon Song, “Electronic Structure and Photochemistry of Flavins. IV. σ-Electronic Structure and the Lowest Triplet Configuration of a Flavin.” The Journal of Physical Chemistry, 72(2), pp. 536–542 (1968), https://doi.org/10.1021/j100848a025

★3──Kenichi Fukui, Teijiro Yonezawa, and Haruo Shingu, “A Molecular Orbital Theory of Reactivity in Aromatic Hydrocarbons.” Journal of Chemical Physics, 20(4), pp. 722–725 (1952), https://doi.org/10.1063/1.1700523


写真3:イソアロキサジンとリボフラビンの光励起状態で分子内水素脱離が起こる現象についての検討

資料情報(上):[研究メモ229-04/001](部分), FFC MIXED 2018/1/S02-2/229-04/001
資料情報(下):[研究メモ229-04/002](部分), FFC MIXED 2018/1/S02-2/229-04/002

資料解説2:フロンティア軌道理論の構想

田中──福井先生がフロンティア軌道理論をどうやって導き出したのかというと、実は直感なのではないかと思っています。乱暴な言い方かもしれませんが、実験結果に合う理論をたまたま見つけてしまったというのが近いかもしれません。理論的説明や裏づけは最初の頃にはなかったのです。そのため批評も多くありましたが、先生はなんとかそれらに答えようと奮闘するわけです。このメモに書かれている「ΔWEQEKπD」という式は、その手がかりになるものだと思います[写真4]。

DはDelocalization(非局在化)の頭文字です。非局在化とは、電子がひとつの分子にとどまらず、他の分子に滲み出ることを指しますが、2つの分子が化学反応を起こす際にはこの電子の滲みが、全体のエネルギーの安定化に寄与しているという意味です。フロンティア軌道理論の成り立ちを量子力学的に正当づけるごく初期のメモという位置づけになります。

西本──右上の式なんかは、摂動論的な式の形をしていますが、いまひとつ練られていないような気がしますね。ですが、何も当たりがないわけじゃなくて、大体こんな形になるだろうという目星はついているのを感じます。

田中──未完成ですよね。彼の頭の端々が見えるようです。絵描きのラフなデッサンにあたるものでしょうか。学生にはあまり見せられませんね。これは研究者として極めてプライベートな部分でしょう。アーカイブ化されたことで初めてこのような古いメモを見ることができたのですが、「ははあ、こういうふうにしてつくっていくんや」と、自分なりに理解することができて、非常に面白い。

写真4:フロンティア軌道理論の構想メモ

資料情報:[会議資料008-01/001](部分), FFC MIXED 2018/1/S01/008-01/001

────このメモがICQCの会議資料に含まれているのはなぜでしょう。

田中──内容から考えて、これが書かれたのはもっと古い時代のはずです。おそらくICQCに関連する何らかの発表やディスカッションがあって、組織委員長としての立場上、量子化学の変遷などを述べないといけないことになり、その資料としてぽいっと入れてしまったのではないかと思います。

────「ICQC関係」と書かれた段ボールには、このメモのほかに会議のプロセスが記録されたさまざまな資料が含まれていました。

田中──この会議は、国際量子分子科学アカデミー(International Academy of Quantum Molecular Science)が主催する会議で、先にも述べましたが、第3回会議が京都で行われることになり、福井先生が組織委員長を務めることになりました。当時、量子化学の分野が活発だった国は、スウェーデン、米国、フランスでした。そんななか、日本で開催されたわけですね。このことは、国際的に見て日本の評価が高まったことを示しています。また、欧米の人は日本人とまったく違う見方をすることもありますから、会議を成功裏に収めて日本の国際的な地位向上に貢献したことが、福井先生のノーベル賞受賞にも大きく影響したのではないかと思っています。

────国際会議が1979年でノーベル賞の受賞が1981年ですね。

田中──ですから、福井先生が組織委員長を務めたことには大きな意味があると思います。

資料解説3:化学でがんを考える

────がん関連の資料もありますね。

田中──古い総説の下書きだと思いますが、「発制癌機構について早急に考察すべき諸問題 I」と書かれたものが残っています[写真5]。福井先生は、医者や生物系の科学者などとは違って、化学からがんについて考えていました。彼は非常に面白い人で、「これは化学反応だ」と、まず決めるんですね。

この下書きは1950年代か60年代初頭に書かれたものだと思いますが、その頃はまだがんの実態というか本質についてはわかっていませんでした。DNAは4種類の塩基で構成されていますが、それぞれが水素結合して二重らせんを構築しています。その結合部分の水素原子が動くことでDNAの複製時にエラーが発生します。それが細胞のがん化の初期段階のものだと仮定し、DNAのなかでの水素の動きについて調べています。その初期的な量子化学計算といった試行錯誤の跡が見えます。

────他分野への応用ですね。

田中──あらゆる分野に量子化学ないしフロンティア軌道理論を使っていくという、彼の一貫性と同時に多面性が表れていると思います。純粋理論も結構だけれど、こういうふうにも使えるんだよと、自分で実践している様子がうかがえます。

西本──昨今の研究スタイルは、高度に専門化されているため、分野をまたいでの研究は非常にハードルが高く、自分の専門領域外に立ち入ることは少なくなっています。50年前との違いが感じられる資料です。

田中──彼はほかの分野に踏み込むことが平気でしたからね(笑)。

写真5:発制癌機構について早急に考察すべき諸問題 I

資料情報:[研究メモ255-09/001], FFC MIXED 2018/1/S02-3/255-09/001

資料解説4:卒業研究(1940–41)

────研究メモ以外にもまとまった手書き原稿がありますが、これはどういった資料でしょうか。

田中──「喜多研究室雑誌会幻灯用紙」と印刷されていますね[写真6]。喜多源逸先生の研究室は大きくて、その下にいくつかの研究室があったと思うのですが、そのひとつで福井先生は卒業研究をされていました。昔は3回生で卒業でしたから、1941年の3月に卒業しています。おそらく2月頃にあった卒業研究発表のためにスライド(幻灯)用に書いたものですね。このほかにも実験の資料や文献などが一体になって茶色の袋に入っていました。

────卒業研究の資料ということですね。

田中──そうです。五塩化アンチモンと炭化水素の反応について研究していました。炭化水素というのは炭素と水素のみで構成されていて、シンプルだけれども奥深い化学物質です。福井先生は化学者のなかでも炭化水素指向が強い人でしたね。

学部卒業後大学院に入りますが、それと同時に陸軍の燃料研究所に勤務することになり、そこでガソリンの合成実験を行います。軍隊はオクタン価の高い良質なガソリンを求めていました。それで福井先生にその合成を命じたんです。ガソリンも炭化水素ですから、結果的にですが、この卒業研究がガソリン研究の基礎になったということになります。

西本──1952年の論文も、炭化水素に関する内容でしたね。ですからこの卒業研究が、フロンティア軌道理論に直接繋がっていくのかなと思います。

田中──福井先生の研究室の名称も「炭化水素物理化学講座」でしたし、炭化水素への興味は一貫しています。この卒業研究がルーツになっているわけですね。

写真6:卒業研究の発表原稿

資料情報:Organic Antimony Chemistry and SbCl5, FFC MIXED 2018/1/S03/294

資料解説5:湯川秀樹『量子力学序説』(1947)を使った演習

────こちらは1947年に発行された、湯川秀樹先生の『量子力学序説』を用いて勉強された足跡がわかる資料ですね[写真7]。

田中──福井先生の学位論文は化学工業装置の温度分布を理論的に調べるような研究で、直接には関係ありません。表の活動としては、化学工学を専門として、そちらで学位を取得されています。量子力学については、趣味と言っては語弊がありますが、表立って研究されていたわけではないんです。それが、1951年に教授になって、1952年にはフロンティア軌道理論を発表されるわけですから、その足跡を表す貴重な資料だと思います。これも彼の多面性をよく表していますね。

写真7:『量子力学序説』(演習問題)解答ノート

資料情報:湯川氏「量子力学序説」問題解答, FFC MIXED 2018/1/S03/286

公開後の利用可能性

────資料公開後に期待される反応について教えてください。

田中──昨今の理論系の物理化学、量子化学ではフロンティア軌道理論は勉強しません。実験系の有機化学の教科書には載っています。ですから、理論系の人たちよりも、実験系の人たちに興味をもってもらえる可能性があると思います。また、この理論がどのように導き出されたのか、そのバックグラウンドが再発見されることで、科学史の研究者にとっても重要な資料になるのではないでしょうか。これらの資料が公開されることで、福井先生がただの理論屋ではないと知ってもらえることが重要です。

西本──化学を勉強している学生さんにとっては、教科書に出てくるような理論の原点に触れられる点で、興味を惹くのではないかと思います。自分たちのやっている研究に直接繋がるものだと実感できるかもしれません。まだ化学を本格的に勉強していない、研究なんて難しいと思っているような高校生にとっても、意外とやっていることは普通だなと感じてもらえるかもしれません。それほど学問のハードルは高くないということが伝わればと思います。

────確かに、研究とは何なのかということがわかりますね。

田中──これらの残された資料をとおして、福井先生というのは、そう遠い人ではないよということがわかってもらえたら、弟子としてはうれしいですね。

左:田中一義先生 右:西本佳央先生

[2023年2月7日、福井謙一記念研究センターにて]

田中一義(たなか・かずよし)
1950年生まれ。物理化学・理論化学。京都大学名誉教授。著書=『統計力学入門』(化学同人、2014); Theoretical Chemistry for Experimental Chemists (Springer, 2020)ほか。

西本佳央(にしもと・よしお)
1988年生まれ。理論化学・計算化学。京都大学理学研究科助教(2020年まで福井謙一記念研究センター助教)。