2025年3月24日 掲載
研究資源アーカイブ通信〈30〉
アーカイブズと私(6)寺内良平先生に聞く「田中正武研究資料, 1929–1997」
- 聞き手:齋藤歩(京都大学総合博物館)
- 撮影:岩倉正司(京都大学情報環境機構) *写真2–5, 8, ポートレート
京都大学研究資源アーカイブは2024年6月に「田中正武研究資料, 1929–1997」(京都大学大学院農学研究科所蔵)を公開しました。1950年代から1980年代の西南アジアや中南米等を対象とした調査研究で植物遺伝学者の田中正武が収集作成した資料について、農学研究科の寺内良平先生に見どころを伺いました。
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事業応募までの経緯
────研究資源アーカイブの事業に応募された経緯をお話しいただけますか。
寺内──田中正武先生は1920年に台湾の台北市で生まれ、1947年に京都大学農学部農林生物学科を卒業されました。1954年に同じ農学部の実験遺伝学講座の助教授に就任されて、1971年に農学部附属植物生殖質研究施設の教授になられました。1984年に退官した後は横浜に移られて、横浜市立大学の木原生物学研究所の教授、さらに所長を務められ、1986年に退職されています。
生物学的な方法、考古学的な方法、文化史的な方法を総合して、作物とその進化を解明する栽培植物起原学という研究分野を開拓されたことが田中先生の大きな功績です。また、研究手法の特徴としては実際に野外に出て自身で研究材料を収集することに主眼を置かれたことが挙げられます。
田中先生の資料は横浜のご実家に保管されていましたが、アーカイブ化して学術の発展に役立てることができるのではないかと、2019年の3月にご家族から京都大学大学院農学研究科に寄贈されました。その後、2020年の12月に京都大学研究資源アーカイブの研究資源化プロジェクトに応募しました。
────学生時代の田中先生の記憶はありますか。
寺内──先にも述べましたが、田中先生は栽培植物起原学分野研究室の前身である植物生殖質研究施設に、1971年から1984年に在職されていました。私は1984年に修士課程学生の1年として進学したので修士論文の指導教官と学生という関係ではなかったのですが、大学院に進学する1年前の4年生のときから研究室に出入りしていました。
向日市物集女町(むこうしもずめちょう)という吉田キャンパスから15キロぐらい離れた場所にある研究室です。ここは1942年に木原均博士が開所した財団法人木原生物学研究所に由来します。当時、木原博士は吉田キャンパス北部構内(北白川)で実験遺伝学講座の教授を務めていました。しかし圃場(畑)の面積が狭くなってきたため、土地を求めて物集女町に研究所をつくられました。
木原博士が退官したのが1956年ですが、その前年の1955年に横浜に研究所を移しました。その跡地は京都大学に移管され、1959年に京都大学農業植物試験所(当時)が設置されました。1971年に植物生殖質研究施設になり、その初代教授が田中先生です。
私は2016年の4月に物集女の栽培植物起原学分野研究室に赴任し、田中先生、阪本寧男先生、大西近江先生を引き継ぐかたちで教授になりました。
註
1──本インタビューは『京都大学総合博物館ニュースレター』No. 61に掲載した内容の完全版です。
URL: http://hdl.handle.net/2433/289532
参考文献
1──田中正武研究資料, 1929–1997.
URL: https://peek.rra.museum.kyoto-u.ac.jp/ark:/62587/ar227828.227828
資料解説1:フィールド・ノートに残された採集記録
────海外の学術探検でのフィールド・ノートや写真から、見どころをご解説いただけますか。
寺内──田中先生は、1959年から1989年の30年間に、公式な学術調査旅行に13回出かけられています。中近東・地中海地域を含むユーラシアへの調査旅行が4回、中南米地域が7回、中国が2回です。ユーラシアにおいては、コムギ、オオムギ類を中心とした調査、中南米ではナス科植物、タバコ、トウモロコシなどの調査に従事されています。
そのなかでも、1970年の5月から7月のあいだ、メソポタミア地域にBEM(Kyoto Uni-versity Botanical Expedition to the Northern Highlands of Mesopotamia)として行かれた調査旅行に関する資料について、本日は解説します。
田中先生はたくさんのフィールド・ノートを残されていますが、これがそのひとつです[写真1]。トルコのヴァン湖付近の図ですね。車の走行距離が書かれています。何キロ地点で、どのような植物を見つけて、何を採集したかといったことまで詳細に記録されています。
「Vanの東、OZALPの先までゆく ErçekまではAegilops豊富なるも その先は何もない どういうことか」とメモがあります。このメモの地点で、エギロプス・スクワローサという種名の植物を実際に採集されましたが、その記録は論文にも書かれています★1。
エギロプス・スクワローサという植物は、京都大学のナショナルバイオリソースプロジェクト・コムギ(以下、NBRP・コムギ)の事業で系統が維持され、生きた状態で残されています。そのひとつがこちらです[写真2]。KU-2133という系統番号が振られていますが、このノートに書かれたものそのものか、あるいは近い場所で採取された個体だと考えられます。
写真1:フィールド・ノート
資料情報:BEM 1970 II(部分), AGR MIXED 2021/1/S01/013, “田中正武研究資料, 1929–1997.” 京都大学(資料所蔵:京都大学大学院農学研究科,データ提供:京都大学研究資源アーカイブ).
写真2:エギロプス・スクワローサ(KU-2133)
────田中先生がエギロプス・スクワローサに注目したのはなぜですか。
寺内──田中先生の師であった木原均博士は、ゲノム分析という方法を使ってパンコムギが三つの種類の植物の雑種であるということを解明しました。それぞれのゲノムにA、B、Dと名前を振っています。そのなかでDゲノムをパンコムギにもたらした祖先種がエギロプス・スクワローサ。日本名はタルホコムギです。
このコムギはパンコムギがストレスに非常に強い性質を獲得するのに重要だったと考えられています。このBEMの調査でもエギロプス・スクワローサの探索にあたられて、このヴァン湖の付近でその個体を見つけられたということです。
また、コムギの重要な病気である赤さび病の抵抗性の系統を探すという研究もされていて、エギロプス・スクワローサのなかに病害抵抗性をもつ有望系統があるということも明らかにされています。
★1──Tanaka, M. (1983) Geographical distribution of Aegilops species based on the collections at the Plant Germ-plasm Institute, Kyoto University. In: Proc. 6th Intern. Wheat Genet. Symp. (ed.: S. Sakamoto), pp. 1009-1024. Plant Germ-plasm Inst., Kyoto Univ., Kyoto.
資料解説2:採集地の食文化への関心
────写真も研究に関連する資料ですか。
寺内──ウリの仲間やさまざまな果物、それから麦畑などの写真も撮られています。コムギの野生種の採集地点の環境が1970年時点でどのようであったかについても貴重な情報を与えてくれています。
────どういう環境で採られて、どのようなマーケットに置かれたのか。市民が購入して、調理して、生活のなかで消費していくまでの流れも撮られたのですね[写真3, 4]。
寺内──地形や採集地の情景といったもの以外に現地での暮らしや農耕風景、あるいは食事の風景といったものも記録されています。栽培植物を栄養源としてのみとらえるのでなく各地域の文化を構成する重要な要素として記録されている点で大変貴重な情報源であると考えています。
写真3, 4:ポジ・フィルム
資料情報(左):[BEM 11-5], AGR MIXED 2021/1/S03-1/003-05
資料情報(右):[BEM 11-6], AGR MIXED 2021/1/S03-1/003-06
ともに、“田中正武研究資料, 1929–1997.” 京都大学(資料所蔵:京都大学大学院農学研究科).
資料解説3:遺伝資源を次世代へ伝える
────調査の成果をどうまとめていったのでしょうか。
寺内──先ほど紹介したフィールド・ノートをもとに、調査日誌として、採集された材料、現地での番号、採集した時間、車の走行距離が清書されています。さらに、この調査日誌をもとに調査に同行された阪本寧男博士がタイプライターで記録を整理しました。ここには「32.2km NE from Van to Ozalp, Turkey」と、ヴァン湖から北東に32.2キロのオザルプに至る途中での採集品として、採集番号7-6-9-2のエギロプス・スクワローサが記録されています[写真5]。
写真5:タイプライターで清書された採集品リスト
資料情報:BEM リスト, AGR MIXED 2021/1/S07-4/048, “田中正武研究資料, 1929–1997.” 京都大学(資料所蔵:京都大学大学院農学研究科).
────現在ではデータベース化されている情報ですか。
寺内──はい。それをもとに、NBRP・コムギ事業では世界中の研究者に向けて種子を配布しています。
また、採集してきた材料は圃場に植えて、その性質を栽培ノートに記録しました[写真6]。植えた植物の芽の色であったり、定植した数であったり、出穂(しゅっすい)日(その植物から穂が初めて出てきた日)であったり、背丈の記録などが詳細に残されています。こうして各系統の種子を増やして次の世代へ残すという遺伝資源の保存は現在まで続いています。
写真6:栽培ノート
資料情報:形質調査 -1- 70/71 BEM T.araraticum, AGR MIXED 2021/1/S04/039, “田中正武研究資料, 1929–1997.” 京都大学(資料所蔵:京都大学大学院農学研究科,データ提供:京都大学研究資源アーカイブ).
資料解説4:調査研究の多様な社会還元
────田中先生は、ご自身の著作を簡易製本して年代別にまとめられています。先ほど話題にあがったBEM関連の論文(1983)も収録されています[写真7]。
寺内──学術調査で集められた植物は物集女の圃場で栽培され、掛け合わせ実験等を行うことでその系統の遺伝的関係を明らかにしていきました。この論文は田中先生とその学生さん、同僚の教員の方が実施された実験がまとめられたもので、イラク、トルコ、イランでのBEMの調査で得られた成果が学術論文として結実しています。
写真7:田中博士自身がまとめた論文集
資料情報:田中論文集(1983〜1985)NO.141~163(VI), AGR MIXED 2021/1/S06/011, “田中正武研究資料, 1929–1997.” 京都大学(資料所蔵:京都大学大学院農学研究科,データ提供:京都大学研究資源アーカイブ).
────調査と研究の成果は、新聞やテレビのほか、一般誌でも発表されていました。新聞記事はスクラッブ・ブックのなかに残されています。
寺内──田中先生がかかわった学術調査隊の報道記事などが集められたものですね。これはBEMの出発直前のもので、1970(昭和45)年4月21日『朝日新聞』の記事ですが、「コムギの起源調査」「京大隊が来月出発 メソポタミアへ総仕上げに」というタイトルで報道されています。
BEMについて「人類にとって最も古い作物の一つ、コムギの起源を求めて京都大学は5月から2カ月、山下孝介教養部教授(生物学)を隊長とするメソポタミア北部高地植物探検調査隊を派遣する。これは昭和30年のカラコルム・ヒンズークシ学術調査隊以来、東部地中海(昭和34年)コーカサス(同41年)サハラ(同42〜43年)と計4回にわたって京大が出してきたコムギ調査隊のいわば総仕上げ。コムギの起源のきめ手をつかめるかどうか、と世界の植物遺伝学界の注目を集めている」という書き出しになっています。
────わかりやすいです。テレビにも積極的に協力したようです。これは台本ですか[写真8]。
寺内──NHK教育テレビで、田中先生が「みんなの科学 トウモロコシのなぞを追って 科学の旅」という話をスライドを映写しながら説明したのですが、その時の台本と思われます。現在市場で売られているトウモロコシと遺跡から発掘された土器に描かれたトウモロコシの写真を比べて、両者の形がかなり異なっていることなどを見せていますね。このように、植物の生物学的研究のみならず、さまざまな考古学的資料、あるいは人の農業慣行に対する観察などを広く紹介しています。
写真8:テレビ番組の台本
資料情報:みんなの科学 トウモロコシのなぞを追って 科学の旅, AGR MIXED 2021/1/S11-3/013, “田中正武研究資料, 1929–1997.” 京都大学(資料所蔵:京都大学大学院農学研究科).
────確かに遺物の写真がたくさん残されています。なぜペルーの博物館で収蔵品を写真に収めていたのか納得しました。
アーカイブズと遺伝資源との有機的なつながり
────公開後はどのように利用されるのでしょうか。
寺内──重要なのは、田中先生によって生きたまま持ち帰られたさまざまな栽培植物が現在もNBRP・コムギ事業で継承されていることです。
コムギとその近い親戚の野生種は、2022年の時点で総系統数が1万7,227系統になっています。コムギの仲間の属として、トリティカム属が1万1,607系統、エギロプス属が3,985系統です。エギロプス属の系統数はイスラエルの研究所に次いで世界で2番目の数を誇ります。世界の主要作物であるコムギですが、そんなコムギの今後の品種改良にとって重要な生きた研究材料が採集されて、この京都で維持されているのです。
今回のアーカイブ事業により、採集地の環境やコムギの利用法などの情報を付与することが可能となります。その結果、これまで維持してきた種子の実用性や有用性が飛躍的に高まります。NBRP・コムギ事業と田中先生のアーカイブズとが有機的につながることで、将来、病害抵抗性への寄与や、塩害、乾燥に強い系統の発見が期待できます。今後、気候変動等のさまざまな要因で農業に適さない環境が増えたときに、適切な品種改良のヒントを得られる可能性もあります。
寺内良平先生
[2024年5月28日、京都大学旧演習林事務室にて]
寺内良平(てらうち・りょうへい)
1960年生まれ。京都大学大学院農学研究科応用生物科学専攻教授。植物遺伝学。論文:Terauchi R. et al. “Origin and phylogeny of Guinea yams as revealed by RFLP analysis of chloroplast DNA and nuclear ribosomal DNA” (Theoretical and Applied Genetics, 83, 743–751, 1992) ほか。