2017年8月30日 掲載

研究資源アーカイブ通信〈10〉

アーカイブズと私(1)間瀬肇先生に聞く「京都大学防災研究所伊勢湾台風高潮被害調査資料, 1959, 2010.」

  • 聞き手:齋藤歩(京都大学総合博物館特定助教)
  • 撮影:平澤美保子(京都大学総合博物館事務補佐員)

京都大学研究資源アーカイブでは今春、二つのデジタルコレクションを公開しました。そのうち「京都大学防災研究所伊勢湾台風高潮被害調査資料, 1959, 2010.」について、京都大学防災研究所特任教授の間瀬肇先生に見どころをうかがいました。
1959年と2010年の時代を隔てた二つの写真からどのような知見が得られるのか。専門家の見方を知ることができます。

1987年、資料との出会い

────このスライドを受け取ったころのことからお話しいただけますか。

間瀬──1987年、いまから30年前です。私の指導教授だった岩垣雄一先生(1923-2009)が、1987年の3月で退職することになって先生が部屋を片付けていたところ、あの赤い箱が出てきたようでした。私は隣の部屋におり、「昔の写真があるけど、できたら持っといてくれるか」と言われて、そのまま「お預かりします」と言ってもらっただけで、そのときは中身も見ていませんでした。先生自身も撮ったことを忘れていたようで、説明もありませんでした。箱の横に「伊勢湾台風 災害記録」と書いてあったと思いますが、開けずにそのままもらいました。
1996年に私が吉田キャンパスの工学部から宇治の防災研究所(以下、防災研)に異動するときに、今度は私が自分の部屋を掃除してたら、預かっていたその赤い箱が出てきました。持っていこうか悩んだのですが、せっかくもらったものですし、スライド一式をダンボール箱に入れるだけでいいのだからと、防災研に持ってきたというわけです。その引越しのときも、中を見ることはありませんでした。

写真1:資料が収められていた「赤い箱」
資料番号:DPRI PIC 2016/01

────それまで一度もですか。

間瀬──そうです。1987年から10年間は中身を見たこともなく、ただ私の本箱の片隅に置いてあっただけです。
そのあと、海岸災害とその対策をテーマにした「海岸災害概論」という授業で、実際に台風や津波がきたらどのように被災するかを写真で見せたいと思って、この写真のことを思い出しました。それで、蓋を開けてスライドをひとつずつ見たところ、このような被災直後の写真だとわかりました。スライドマウントには被災状況のメモが書いてあって、調査計画をメモ書きしたフィールドノートもあり、よく見るとスライドの番号とフィールドノートの番号が一致しているし、「これはいい」ということで、自分でデジタル化して授業で説明しました。

 

──写真はすべて以下を参照しました。
京都大学防災研究所伊勢湾台風高潮被害調査資料, 1959, 2010. (DPRI PIC 2016/01)、 京都大学.
https://u.kyoto-u.jp/kurra-isewan

──本インタビューは、『京都大学総合博物館 ニュースレター』No. 40に掲載した内容の完全版です。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/226620

2010年、調査のきっかけ

────それから10年ほど経過した2009年、伊勢湾台風から50年の節目となり、新しい動きがありました。

間瀬──2009年は伊勢湾台風50周年のメモリアルとして、いろいろな自治体が特別企画展を開催していました。気象庁も「伊勢湾台風再現実験プロジェクト」という大きなプロジェクトを企画していました。私は、最新の気象情報再現実験結果と高潮数値シミュレーションを用いて、観測結果と比較しました。この論文のなかにも、実際の被災状態の写真を載せました★1。この過程で、写真をすべてデジタル化して、自分でデータベースもつくり、防災研のウェブサイトで「研究資料データベース」として公開してもらいました★2
そうしたところ、伊勢湾台風の特集記事を書きたいということで、その写真データを見つけた中日新聞の記者が取材に来てくれました。記者は、当時は白黒写真がほとんどで、他の記念行事で写真を見ても白黒が多く、カラーで撮影されたものは貴重だと言いました。それで、この資料をどう整理したらもっと使ってもらえるものかと考えるようになりました。
ただ公開するだけではおもしろくないので、昔といまの風景をまったく同じアングルで写真に撮って公開したらどうかと考えていたところ、研究室のOBで港湾空港技術研究所にいた本多和彦くんが、たまたま2年間だけ名古屋港湾空港技術調査事務所に出向中であることを知って、「これと一緒のアングルで撮りたいのだけど」と相談しました。そうしたら場所を割り出してくれて、「一緒に撮りに行きましょうか」となって、ついに構想が実現しました。
調査後は、昔の被災場所と現状を突き合わせると教訓的なことがわかりそうだったので、エクセルで写真を二つ並べました。そして、二つを見比べることで、海岸防御に当たっては線的防御から面的防御になっているとか、明らかになった知見をコメントとして追記しました。

────2009年のメモリアルが2010年の調査のきっかけなんですね。

間瀬──本当は「2009年に完成させる」と思っていたのですが、50周年には出遅れて……。でも数年後の2019年は60周年なので、そのときにまた注目されると思います。

 

★1──間瀬肇, 武藤遼太, 森信人, 金洙列, 安田誠宏, 林祐太. 詳細気象予測値を用いた伊勢湾台風高潮の再現実験. 土木学会論文集 B2(海岸工学). 2011, Vol. 67, No. 2, p. I_401-I_405, doi:10.2208/kaigan.67.I_401, (参照2017-06-12).

★2──京都大学防災研究所「研究資料データベース」. http://www.dpri.kyoto-u.ac.jp/database/, (参照2017-06-12).

資料解説

1:「津管内 田中川 樋門の北(1959)」と「津管内 田中川 樋門の北(2010)」

────専門家はどのあたりに注目するのか、写真の見どころを教えていただけますか。

間瀬──台風が来ると海面の異常な上昇「高潮」が生じますが、強風が吹いているので波も大きくなっており、この「高波」が堤防を破壊する外力となります。伊勢湾台風の被害を解析した結果、名古屋より西のほうは、この高波の影響が強く、波によって構造物が破壊されていました。一方、「高潮」によって潮位が堤防を越えると、越流水によって堤防の背後が削られて、後ろから崩れて堤防が倒れる被害が起こります。これは名古屋より東側の被災状況として顕著な特徴でした。
1959年の写真では、堤防の上のほうのコンクリートがなくなって、下の土台だけが残っています[写真2]。裏のほうは土がまだ平らで削られていないので、これは堤防が「高波」によって倒されたと思われます。

写真2:「津管内 田中川 樋門の北(1959)」 資料番号:DPRI PIC 2016/01/1005/A/1005-01/1959

────「裏のほう」とは、堤防から見て左側の陸地のことですか。

間瀬──そうです、堤防の背後地です。もし潮位が高くなっていたら、長いあいだ海水面が高いままですから、どんどん海水が入ってきます。そうすると背後地がもっとえぐられます。「高潮」により土がえぐられて、削られた状況が残るはずです。

────2010年の写真からはどんなことが読み取れますか。

間瀬──海岸を守る方法が、線的防御から面的防御になったことが確認できます。
面的防御というのは、英語でいうと「Integrated Coastal Defense」。単一の堤防・護岸ではなくて、統合的に(integrated)守るということです。沖に離岸堤や突堤を置いたり、砂を供給して砂浜を長くすると、そこで波が砕けます。また、潜堤や消波ブロックを置いて波を弱めます。そうして堤防に波が来るまでに段階的に弱めて、堤防でも守ります。いまは海岸対策は「景観」、「環境」、「利用」の三つの観点から行なうことになっているので、このような階段をつけて、人が海にアクセスでき、座ったりできるような緩やかな堤防になっています[写真3]。最初の写真とぜんぜん違う景色です。

────このくつろいでいる人たちの写真は、新旧の海岸対策の違いをよく表わしていることになりますね。こうしてリラックスできるようにも堤防が計画されていると。

間瀬──海浜でのレクリエーションにも使えるような設計です。面的で、「景観」、「環境」、「利用」をあわせもつ構造物が実現していて、半世紀余りの海岸工学の発展を明確に示す2枚の写真です。

写真3:「津管内 田中川 樋門の北(2010)」 資料番号:DPRI PIC 2016/01/1005/A/1005-01/2010

2:「鍋田干拓 前面堤(1959)」と「鍋田干拓 前面堤(2010)」

間瀬──はじめの写真は波力で構造物が壊されていましたが、この写真からは高潮による越流によって裏込め土が流出すると、防潮堤が倒れることがわかります。
写真の鍋田干拓あたりは堤防が崩れていませんが、高潮の影響で堤防の裏の土砂がえぐり取られています。これが続くと、裏のほうまで削られて、防波堤が倒れます[写真4]。海側の堤防の表面や基礎はしっかりつくっていましたが、越波するという想定があまりなかったので、裏のほうの地盤や基礎はしっかりつくられていませんでした。それでバタバタ倒れたので、いまはコンクリートを三面張りにして、裏のほうの地盤改良や根固めもしっかりとする粘り強い構造物となっています。

写真4:「鍋田干拓 前面堤(1959)」 資料番号:DPRI PIC 2016/01/1008/B/1008-11/1959

────伊勢湾台風の被害状況から三面張りの有効性が明らかになったということですか。

間瀬──完全に差が出ました。じつは当時も三面張りのところはあって、そこは構造物の被害が出なかったようです。越流して背後地の浸水はありましたけど、構造物の被害はなかった。構造物がなくなったらもっと浸水して被害は拡大しました。伊勢湾台風が契機となって、三面張りの有効性が明らかとなり、それからは全部三面張りです。

────50年後には三面張りになっていますね[写真5]

間瀬──そうです。三面張りで大事なのは、裏面の法尻(のりじり)の処理です。地盤と堤防が接するこの部分の処理が砂だけですと越流によって砂がえぐり取られて、そこから崩壊が起こることもあります。2011年3月11日の東日本大震災で発生した津波で海岸堤防が倒れたのは、多くがこの部分に原因がありました。それで、3.11の津波のあとは意識的にこの処理がされるようになってきています。

写真5:「鍋田干拓 前面堤(2010)」 資料番号:DPRI PIC 2016/01/1008/B/1008-09/2010

3:「講演・報告会図表」

────今回の資料には、写真だけでなく図版も含まれていました。これらはどんな目的でつくられたのでしょうか。

間瀬──これは災害調査報告として、浸水の範囲や流量、被災した場所の防潮堤・防波堤・海岸堤防の様子を速報としてまとめた資料だと思います。
いまでも災害が起こると、現地に行って、写真を撮ったり、データを集めたりして、戻ってきたら、そうした調査結果報告会をします。その後に、詳細に学術的な検討をします。洪水と高潮が重なっていたら、天文潮がもう少し高かったらどうなっていたか、災害対策に弱点はどこにあったかなどです。これらの図表はその基礎データとなります。

写真6:「Fig. 4 木曽川の高潮と洪水曲線」 資料番号:DPRI PIC 2016/01/rep/09

資料から教訓を得る

────このような資料をこれからどのように使ってもらいたいですか。

間瀬──要望がありそうなのは、地方自治体ではないかと思います。市町村が、子どもたちに対して「ここはこういう場所ですよ」、「高潮が起こりやすくて危ないところですよ」、「いまは50年間なにも災害がないですけど、もともとはこんな被害がありましたよ」といったことを教えるための啓蒙の資料として有効だと思います。

────比較しながらご説明いただいて、そのことがよくわかりました。

間瀬──完全に景色が変わってしまっているところがあります。そうすると、新たに移り住んできた人は以前のことをぜんぜん知らないけれど、本当はまだ危険な場所です。被害のあったエリアは、海抜ゼロメートル地帯が多いので、今後も甚大な被害にあうかもしれません。そんなことを知ってもらうには、昔の写真を現状と一緒に見せると説得力があります。
研究面では工法の違いを検証する材料になりますが、啓蒙のほうが需要が多いと思います。研究するうえでは、この資料ではなく、これまでの論文が参照されると思います。伊勢湾台風時の観測値は過去の論文にだいたい載っているので、わざわざ一次資料に戻らなくてもわかります。また、高潮災害には、いろいろな事例もありますし。日本のほかに、フィリピン、台湾、米国にもあります。それに、いまは海洋に観測ブイが置いてあるので、データもたくさんあります。伊勢湾台風の時代はそういった状況ではなかったので、貴重なデータでしたけれど。

────先生は「将来想定される災害外力の増大」への注意を喚起されていました。どういうことでしょうか。

間瀬──伊勢湾台風は929ヘクトパスカルで、日本では1950年以降で最大規模でした。現在は地球温暖化によって海水面温度が上昇していて、フィリピンの沖で発達した台風が水蒸気からエネルギーをもらって、減衰せずに発達してそのまま日本周辺に到達するので、900ヘクトパスカル級の台風が日本に来る可能性が増えています。伊勢湾台風の被害を受けたこのエリアについていえば、いままでは潮岬から上がってくる途中で減衰していましたが、現在はコースがちょっと変わってきていて、伊勢湾にそのまま上陸する可能性があります。
海岸防御構造物をつくるときは、〈いま想定している〉台風が〈これからもやってくる〉という前提で外力を設定してきたのですが、今後はそれより大きな規模になる可能性が高いので、そのレベルに対する防潮堤の計画や背後地の土地利用を考えないといけません。

────台風の極端化を前提とした計画が必要なのですね。

間瀬──これまでも最大クラスを想定してきましたが、現在ではそれも超える可能性があることを意識しながら施設を建設するようになっています。それに加えて、台風の場合は予報ができるので、自然現象の規模に応じて逃げるという避難の意識を持つことも重要です。地球温暖化は確実に進んでいるので、波と潮位はいまより大きくなります。今回ここで公開した1959年の写真は、想定以上の高潮と高波に襲われたときの被害状況として見てください。想定を超えたらこんな被害が出るという教訓を与える資料です。

写真7:間瀬肇先生

[2017年5月25日、京都大学防災研究所にて]

間瀬肇(ませ・はじめ)
1953年生まれ。京都大学防災研究所特任教授。論文=間瀬 肇・Jun Zang・安田 誠宏・Feng Gao・Lifen Chen (2015): 浅瀬を伝播する津波のソリトン分裂に関するOpenFOAMによる再現性の検討, 土木学会論文集B2(海岸工学), Vol. 71, No. 1, pp. 52-57, Doi: 10.2208/kaigan.71.52.; Mase, H., Yasuda, T., Reis, T.M., Karunarathna, H. and Yang, J.A. (2015): Stability formula and failure probability analysis of wave-dissipating blocks considering wave breaking, Jour. Ocean Eng. and Marine Energy, Vol. 1, Issue 1, pp. 45-54, Doi: 10.1007/s40722-014-0004-0.; Mase, H., Tamada, T., Yasuda, T., Karunarathna, H. and Reeve, D.E. (2015): Analysis of climate change effects on seawall reliability, Coastal Eng. Jour., Vol. 57, No. 3, pp. 1550010-1-1550010-18, DOI: 10.1142/S0578563415500102.; 間瀬 肇・玉田 崇・安田 誠宏・川崎 浩司 (2016):打上げ・越波統合算定モデルの精度検討,土木学会論文集B2(海岸工学), Vol. 72, No. 1, pp. 83-88, DOI: 10.2208/kaigan.72.83ほか多数。